15年ぶりのラカンバサック
2000年12月31日パリで公演
先輩からのメールがきっかけで、私はパリで昔の仲間とラカンバサックを上演することになりました。公演は12月16日と31日です。15年ぶりの舞台ですので、半月は練習しなければいけません。
私は先輩にメールを送って、11月28日に出発します! と知らせました。 パリに行ったあと、カンボジアに帰る予定です。寒い国と暖かい国に行って、荷物は結構大変です。
成田空港から8時間、途中でバンコクにトランジットで下ります。さすがに暑い!
これから寒いパリに行くつもりなので、そのときの私の格好は、セーターとズボン、ミニブーツ、手にはコートを持っていました。この空港で8時間待たないといけません。やっと空港でシャワーを見つけて、やっと落ち着いて待つことができました。
ぼんやりしながら.. カンボジアがこんなに近いのに、このままパリに行くなんて... さよならカンボジア。また来月来ますからねー。ごめんねー。
これから13時間飛行機に乗って、フランスに向かいます。 13時間も何をやっていようかな。隣に座っている外人から
「フランス語を話せますか?」
「ええ、少し」
やっと話し相手ができて、これから退屈しなくてホッとしました。
彼は、ニュージーランドに住んでいて、今回25年ぶりに子供を連れて実家にバカンスに帰るそうです。子供は11歳のかわいい男の子、英語しかできませんので、スーは英語とフランス語で三人でおしゃべりしました。
奥さんは今回は来ません。子供だけ実家に連れていって、また家庭の問題かしら…?? スーが想像していました・・。
スーも15年ぶりパリに住んでいる友達に会いに行って、歌劇を上演することなどいろいろ話しました。話し相手ができて、長い時間飛行機に乗ることを忘れてしまうんですね。
11月29日午前の7時ごろシャルル・ドゴールに着きました。体はとても疲れてしまいました。シャルルドゴールを出ても、迎えに着てくれるはずの先輩がいません。
サー電車やバスに乗ってパリに行くしかないと思った時に後ろを向いて、誰か黒人みたいな姿が現れて、アラー先輩だ!もう一人は分からないですけれど先輩よりずっと黒い・・絶対先輩の知り合いでしょう。実は先輩は、スーが出る前に誰かを見てそ の人をスーと思って、その人を驚かして恥ずかしかったと言った。スーが先輩を見てすぐわかります。
先輩はオウクナレットと言います。スーが分かって、フランス人みたいにほっぺにキスして・・すぐ車に乗ってナレットの家に向かっています。運転は黒い人です。
シャルルドゴールを出て、街に向かいます。街はゴミがいっぱい。日本とはぜんぜん違います。車の中で「汚いね」と彼に言った。
私はナレットの家に1ヶ月間泊まることになりました。
ナレットの二人の娘が部屋を貸してくれたので、私は1部屋使うことができます。よかった。静かに一人で寝れるから・・。ナレットの奥さんは台湾人です。話す時は結構大声で話しています・・スーがそれを聞いてストレスがたまっていました。
料理はあまり上手じゃないけれどよく作ってくれた。
「スーが来たぞ!」
その日から15年ぶりに合うことを楽しみにしていた先輩たちが毎日入れ替わってやってきました。みんな台湾の時代から難民としてフランスでがんばった仲間です。 電話はいつでもなっているし、ナレットは、最後には電話が鳴ると
「ア・スー電話だよ」
と言って自分でとりません。
久しぶりに会う先輩たちは、15年間の間はなれていたことなんか忘れてしまうみたいにおしゃべりをして、冗談を言って、私の心もすぐにあの時にもどってしまいました。
「スーは変わらないねー。昔と同じだね」
「昔よりもかわいいでしょ?」
「変わらない。お尻が大きくなっただけ」
(イヤだわ)
みんなは変わっていました。
「チエン 髪の毛はどうしたの?」
「どこかに落としちゃった」(ツルツル)
「ナレットはまだたくさん残っているねー」
「ナレットはね、スーが来る前に真っ白な髪を急いで黒く染めたんだよ。 スーには内緒だよ」
(聞いちゃった)
「ウアンも変わらないねー」
「ああ、今でも変わらないでスーを愛してるよ」
「そ、そう..」
「俺は空港に勤めてるからな、スーが帰ってくるときに見つけて、抱きしめて キッスの雨をしたかったんだ、でも時間がちょっとずれて見つからなかった 本当に残念だよ」
(時間がずれて本当によかった)
公演する予定は2000年12月16日と31日です。
さあ練習です。15年前のすばらしいスーを思い出さなければいけません。
歌の練習やお芝居のセリフを覚えるために、食事の時間も台本を読みながらしゃべって、一体何をやってるのかナレットの家族が心配して見に来たこともありました。
がんばって、だんだんセリフもすーっと出てくるようになって、歌もうまく(まあまあ)なってきました。よーし、舞台でがんばるぞ!
12月31日の宣伝をするためにリーダーのナレットと私がカンボジア語でラジオフランスにインタビューを受けた。
スーが自己紹介をして、自分の活動をはなして、先輩はラカンバサックの歴史を話しました。放送されたのは12月17日で日曜日でした。フランスに住んでいるカンボジア人の98%が耳を立てて聞いています。外国にも聞こえていますが…。
ラジオを聞いて、スーがフランスに来ていることを知った昔の友達や踊りをいっしょに練習した仲間たちが、毎日ナレットの家に電話をかけて来ました。みんなまだスーのことを忘れないでいてくれたんだ。嬉しかった。
毎日練習して、どこへも行っていませんでした・・もちろん買い物もしたかったんですけど、一人で行くと言うと先輩や奥さんが
「だめ!一人で行くな!危ないから!」
「あら!スーはフランスに住んでいたんだよ!」
「前より治安が悪いから、とにかくだめ」
男性がスーの近くに来ると
「だめ!」
(スーは子供じゃるまいし)
だから、どこへ行っても必ず先輩が着いて来る…
いやだ!!!ストレスがたまってくるし、台湾に居た時から今までも先輩はスーがいつも18歳と思っているんだから!
一ヶ月ぐらいパリに住んで、遊びにもいかないで、ショッピングもしないでただ歌劇を練習して公演するだけ。ばかみたいかなあ。
先輩たちのおかげで公演は成功でした。