19年ぶりにカンボジアを訪れたとき、なつかしい家族の顔や死んでしまった親戚の話、荒れ果てたプノンペンの街,カンボジアらしい伝統の風景などに出会ってよろこびと懐かしさと悲しみで私の気持ちは大きく揺れました。それでも自分の国に帰ってきた安らぎはほかのものではかえられません。私にたくさんのものをくれた旅でした。


大きくして見るには,写真をクリックしてください


i021 タイの空港で飛行機を待っている時に、突然 私と彼女が同時に叫んで周りの人を驚かせました。私の先輩の奥さんで,パリで私のところに踊りを習いに来ていた人に偶然会ったのです。8年ぶりでした。

h365

i031 実の兄姉や親戚が30人くらい空港で私を迎えてくれました。
これは19年ぶり初めて母に会った時の写真です。笑顔で明るく再会するつもりでしたが...

i041 母が今まであったことや家族のことを話してくれて,私は胸が一杯で泣いてしまいました.
イヤだな...

i051 この家は母が兄と一緒に住んでいた家です. 倒れそうな家でした。

i061 母が料理を作って家族と食事をしている時に,母や親戚の人たちが戦争が起こってから今までのことを話してくれました。いつも新聞やテレビを見て知っていても、母や親戚の口から聞くとやっぱりたまらないですネ

i042 飯田さんも兄の家に泊まりました。夜はかならず蚊帳を使わないと絶対眠れないですよ!


i081 兄が私のために新しいベッドや枕を買ってくれました。カンボジア人にとってはすごく高いです.本当は要らないのに、お嬢様ではないので,ベッドがなくても寝られます.
公務員の月給はとても少ないなのに...

i091 劇場の偉い人に会いました.本名は「チュン トチュ」戦後の名前は「トム ペッ クロバル」と言います、今は文化省(?)で働いています。モハスロープ劇場でお兄さんと『トムテェウ物語』の公演もしています
『トムテェウ物語』はとても有名です。カンボジアでは普通の学校でも勉強します。彼はトムの役をしていました。歌も甘い声でなかなかです。私も昔『トムテェウ物語』で小さな役をしたことがあります。

i101 「ア・スー」(スーちゃん)と呼んでくれました。その先生は『トムテェウ物語』の中のコミックの役をしていました。

i111 同級性と会って『ココナッツダンス』を一緒に踊りました!

i121 日本橋の近くで姪と一緒に写真をとりました。私がカンボジアから出た時1才でしたから、姪と言っても他人みたいな感じです

h302 モハスロープ劇場で同級姓と一緒に『ココナッツダンス』を踊りました。


h305 昔からの友人。あだ名は「ペウブ」と言います。今は小児科医です。

h335 私が行った時にちょうど兄の家の近くにお祭りがありました。私も一緒になって踊りましたラムヴォンという踊り。日本の盆踊りに近い踊りです。私は日本人と思われていました。おもしろいので黙っていました。『カンボジア人より踊るのが上手です』(英語)といってみんながほめてくれました。おかしくて、あとで一人で笑っていました。

h463 夜家族と食事をした時です。

h732 甥のソカマーがアムボックとババナと混ぜたものを食べさせてくれました。これはお月様を祭る行事でカンボジアの習慣です。

h482

h892


h275 家と学校はちょっと遠いです。「チェー・セム」先生がバイクでつれていってくださいました.先生は今王宮のそばで彫刻の店を経営しています。

h355 私の小学校です。この学校は女子校ですが特別の関係があると男の子も入れます.私のいた時にも男の子は3人いました

h414

h753

osakat これは私のセーターです。革命前は私の家は少し余裕があったので洋服もきれいなものが1〜2枚ありました。けれどポルポト時代にはお米や食べ物と交換して服をほとんど手放してしまったのです。(そのときはお金というものがありませんでしたから) 私の服は,それでもこのセーターだけは残ったんだといってお姉ちゃんが見せてくれました

iidahaha


Im Kimsuor Gif Gallary
The life story of Im Kimsuor
and the Cambodian culture
Oct/1996